優美なるラファエロ その6
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ラファエロ・サンツィオ『無口な女(ラ・ムータ)』(1505-1507年、マルケ州国立美術館蔵)
ラファエロの人物画のなかには、お世辞にも優雅とはいいがたい人も存在する。その代表ともいえるのが、『無口な女(ラ・ムータ)』であろう。
この絵のモデルについては詳らかでないが、位の高い人物というよりも、商人のおかみさん、といったあたりがぴったりくる。着ているものがどことなく地味で、陰気くさく見えるからだ。けれども、体の前で組み合わされた両手の指には3つもの指輪をはめているし、おまけに彼女の左手がつかんでいるものは、お金が入った袋のようにも見える。
そのツンと澄ました顔つきは、いかにも無口というか、いっそ無愛想といってしまいたくなるほどだ。それも、性格がおとなしいから口数が少ないのではなく、声を出すとそれだけ損をする、と思い込んでいるようなふしがある。
彼女のポーズは、明らかにダ・ヴィンチの『モナ・リザ』に酷似している。ただ、『モナ・リザ』が静かな微笑みを浮かべているのに比べると、こちらの女はあまりにも、取り付く島もないといった雰囲気だ。それでも名画とされているのは、細部の描写があまりにも真に迫っているからだろうか。十字のついたネックレスが鎖骨のあたりに微妙な影を宿しているところなど、見事というほかない。
『モナ・リザ』がどことなく現実を超越したような不可解さを感じさせるとすれば ― だからこそ皆がこぞって“謎の微笑”などというのだろうが ― 『無口な女』は、現実の女性が眼の前にいるように錯覚させる。たとえ万人を魅了するような笑顔でなくとも、対象を迫真的に描ききるのが画家に要求された技術であり、その点ではラファエロの実力はかなりのものであったはずだ。
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参考画像:ラファエロ・サンツィオ『マッダレーナ・ドーニの肖像』(1506年頃、パラティーナ美術館蔵)
なお、ラファエロは『マッダレーナ・ドーニの肖像』でも『モナ・リザ』のポーズを模倣している。いや、ポーズだけではなく髪型も『モナ・リザ』を意識していると思われるし、背後に風景が描かれている点も共通している。
けれどもこのマッダレーナたる女は、『無口な女』以上に不機嫌そうで、ムスッとしている。まさか20代前半の若造が描いた肖像画が、500年以上経っても多くの人々に鑑賞されるようなことになろうとは夢にも思わなかったにちがいない。
***
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ラファエロ・サンツィオ『エリザベッタ・ゴンザーガの肖像』(1504年頃、ウフィツィ美術館蔵)
『エリザベッタ・ゴンザーガの肖像』も、ひどい顔に描かれている。いや、これは、わざとかもしれない。
何しろ、着ているものが変わっている。彼女の額を飾っているのは、サソリのようである。肩にかかった髪は、ちょろちょろと波打って描かれているが、あまりにも不自然だ。全体的に、この肖像画には過剰な“演出”が透けて見えるような気がする。
それと打って変わって、バックに描かれている風景の何とのびやかなことか。奥行きも自然で、無理がない。手前にぬっと突き出している頭が、邪魔に感じられるぐらいだ。ラフェエロは意外なことに、たくさんの引き出しをもった多芸多才な画家だったようである。
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ラファエロ・サンツィオ『無口な女(ラ・ムータ)』(1505-1507年、マルケ州国立美術館蔵)
ラファエロの人物画のなかには、お世辞にも優雅とはいいがたい人も存在する。その代表ともいえるのが、『無口な女(ラ・ムータ)』であろう。
この絵のモデルについては詳らかでないが、位の高い人物というよりも、商人のおかみさん、といったあたりがぴったりくる。着ているものがどことなく地味で、陰気くさく見えるからだ。けれども、体の前で組み合わされた両手の指には3つもの指輪をはめているし、おまけに彼女の左手がつかんでいるものは、お金が入った袋のようにも見える。
そのツンと澄ました顔つきは、いかにも無口というか、いっそ無愛想といってしまいたくなるほどだ。それも、性格がおとなしいから口数が少ないのではなく、声を出すとそれだけ損をする、と思い込んでいるようなふしがある。
彼女のポーズは、明らかにダ・ヴィンチの『モナ・リザ』に酷似している。ただ、『モナ・リザ』が静かな微笑みを浮かべているのに比べると、こちらの女はあまりにも、取り付く島もないといった雰囲気だ。それでも名画とされているのは、細部の描写があまりにも真に迫っているからだろうか。十字のついたネックレスが鎖骨のあたりに微妙な影を宿しているところなど、見事というほかない。
『モナ・リザ』がどことなく現実を超越したような不可解さを感じさせるとすれば ― だからこそ皆がこぞって“謎の微笑”などというのだろうが ― 『無口な女』は、現実の女性が眼の前にいるように錯覚させる。たとえ万人を魅了するような笑顔でなくとも、対象を迫真的に描ききるのが画家に要求された技術であり、その点ではラファエロの実力はかなりのものであったはずだ。

参考画像:ラファエロ・サンツィオ『マッダレーナ・ドーニの肖像』(1506年頃、パラティーナ美術館蔵)
なお、ラファエロは『マッダレーナ・ドーニの肖像』でも『モナ・リザ』のポーズを模倣している。いや、ポーズだけではなく髪型も『モナ・リザ』を意識していると思われるし、背後に風景が描かれている点も共通している。
けれどもこのマッダレーナたる女は、『無口な女』以上に不機嫌そうで、ムスッとしている。まさか20代前半の若造が描いた肖像画が、500年以上経っても多くの人々に鑑賞されるようなことになろうとは夢にも思わなかったにちがいない。
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ラファエロ・サンツィオ『エリザベッタ・ゴンザーガの肖像』(1504年頃、ウフィツィ美術館蔵)
『エリザベッタ・ゴンザーガの肖像』も、ひどい顔に描かれている。いや、これは、わざとかもしれない。
何しろ、着ているものが変わっている。彼女の額を飾っているのは、サソリのようである。肩にかかった髪は、ちょろちょろと波打って描かれているが、あまりにも不自然だ。全体的に、この肖像画には過剰な“演出”が透けて見えるような気がする。
それと打って変わって、バックに描かれている風景の何とのびやかなことか。奥行きも自然で、無理がない。手前にぬっと突き出している頭が、邪魔に感じられるぐらいだ。ラフェエロは意外なことに、たくさんの引き出しをもった多芸多才な画家だったようである。
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