緑に囲まれて(1)
旧「香櫨園」駅の看板(2020年3月21日撮影) 西宮市大谷記念美術館には、よく足を運ぶ。ぼくにとって、心の休まる場所のひとつである。同じ西宮にある、甲子園などとは対照的かもしれないが…。...
View Article大阪の街を歩いて
昨年の12月のことであるが、「新型コロナ」以外の話題が世間をざわつかせることになった。各局のテレビのニュースはトップでこのできごとを扱い、世間の関心もかなり高かったようだ。...
View Article日々のこと(1)
去年からは、まったくひどい日々の連続だ。もちろん、例のウイルスのことである。われわれの日常生活というものは、去年を境に、本当に一変してしまったのだろうか? そうは思いたくないのだが。...
View Article城をめぐりて(1)
(1月、晴れの日の大阪城) 最近、大阪城によく行く。あまり家にいたくないので、いつもどこへ出かけるか考えているが、大阪城は定期券だけで行けるので、交通費はかからない。...
View Articleコロナのもとで音楽を(1)
(ある夜のザ・シンフォニーホール) 今年は、コロナ禍という印象だけで過ぎて行ってしまいそうだ。 この不自由な暮らしも、せいぜい何か月かの辛抱だと思っていたら、我々の生活を根幹から見直す必要に迫られてきた。本来マスク嫌いのぼくは、マスクをして出歩くことなどなかったが、今は必要不可欠なものになっている。人が服を着て外を出歩くのと同様、マスクなしで出歩くのは破廉恥極まりない、といった勢いだ。...
View Article地獄の七夕
今年は正直な話、七夕どころではなかっただろう。その日を含む数日間、日本はまさしく地獄の日々を味わったといっていい。天の川ではなく、地上の河川の動向から眼が離せない人も多かったはずだ。...
View Article再び、現代美術に肩まで浸かる(5)
中原浩大『レゴ』(1990-91年) 再現可能な作品の最たるものといえば、中原浩大(こうだい)の『レゴ』がそうであるかもしれない。“一点もの”が、芸術の貴重さ、あるいは存在価値を決定づけているとすれば、現代美術に関してはその基準がまったく当てはまらないことをよく示している。...
View Article再び、現代美術に肩まで浸かる(4)
ドナルド・ジャッド『無題』(1977年) ぼくにとって難解な現代アーティストはまだまだいるが、そのなかのひとりが、ドナルド・ジャッドである。しかし、世間でその名前や作風がどれほど認知されているかは分からない。というのも、我々は知らず知らずのうちに、ジャッドの作品世界のなかに暮らしているようなものだからだ。 ぼくがジャッドの名をはじめて知ったのは、かつてNHKで放映された「夢の美術館...
View Article再び、現代美術に肩まで浸かる(3)
バーネット・ニューマン『夜の女王I』(1951年) ところで今回、現代美術のことを書こうと思ったきっかけは、先日また国立国際美術館に出向き、全館を使った一大所蔵品展を観たからだ。 そのタイトルは「視覚芸術百態...
View Article再び、現代美術に肩まで浸かる(2)
〔国立新美術館で展示された草間彌生のインスタレーション(2017年4月14日撮影)〕 ふと思いついたのだが、現代美術には外向きと内向きの相反するベクトルがあるのではないか、と思う。いいかえれば、外交的なものと内向的なものに二分されているのではないかということである。...
View Article再び、現代美術に肩まで浸かる(1)
〔EXPO’70パビリオン内部にある大阪万博テーマ館の模型(2016年12月10日撮影)〕 最近になって、吹田市の万博記念公園にある岡本太郎作「太陽の塔」が注目を集めている。...
View Article夏はどこから(4)
〔美術館裏の庭園を歩く〕 この美術館から帰る前の習慣として、建物を取り巻く庭園を一周することにしている。今日は暑かったが、天気がいいので、ついふらふらと足が向いた。実は、あまり人と出会うことのない穴場でもある。 庭のある美術館というと島根の足立美術館が世界的に知られているようだが、遠くの山々や滝まで取り入れたその広大な庭園に比べると、こちらの庭はこぢんまりとしている。周辺にある住宅地や小学校...
View Articleある俳優の思い出(1)
少し前の話になるが、先月伝えられた日下武史の訃報は、文学に熱中していた若いころの自分を不意に思い出させた。 といっても、日下の名前がどれほど人口に膾炙しているのか、ぼくは知らない。おそらく、知名度なるものがテレビへの露出によって大きく左右されることの多い昨今では、彼のことなど知らないという人が多いような気もする。...
View Article底知れぬ美醜のあいだ ― クラーナハを観る ― (1)
〔クラーナハ展が開催されている国立国際美術館〕 クラーナハという画家は、たしかに以前から聞いたことがあった。ただ、その名前はクラナハだったり、クラナッハだったり、日本語の表記がかなり揺れ動いていたような記憶がある。...
View Article年越しあれこれ(2)
境内には、お坊さんかそれとも司会進行の担当者か、朗々たる声がマイクを通して響き渡る。まるでイベントの開始を告げるかのようである。 そう、ぼくは今まさに、これから除夜の鐘を突きはじめようとする瞬間に行き合わせたのだった。これまで何度も年越しの瞬間を寺で過ごしてきたが、こんなことははじめてだ。...
View Article年越しあれこれ(1)
長いあいだブログをサボっていると、再び書きはじめるのも気が引けるものだが、筆者がまだ生きているということを示すためにも、何か書いておいたほうがいいように思う。...
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